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城東消防署の歴史

消防署沿革 昭和初期

昭和7年東京市域拡張によって、南葛飾郡下の亀戸町、大島町、砂町の三ヶ町で城東区が誕生し、即日、城東消防署が開設となりました。このため、それまで各町費で組織、運営されていた亀戸町、大島町、砂町の各消防組は自然解消して、火災や水災などの警防事務が実質的に警視庁消防部の管轄するところとなり、城東消防署本署を亀戸町消防組常備所に、大島出張所を大島町消防組常備所に、砂町出張所を砂町消防組常備所にそれぞれ仮配置し、消防職員54名、消防車4台をもって消防事務を開始しました。

城東消防署
庁舎の裏側

昭和20年の東京大空襲で管内の95%を焼失し、袖ヶ浦出張所を残し本署及び出張所8カ所を焼失しました。その後、昭和23年に木造2階建の本署庁舎(写真上)を現在地に再建、昭和38年まで使用されました。写真左に写っている塔は、当時は電話が普及していなかったため火災を発見するための見張りをする望楼と呼ばれる塔です。

写真右は、当時の庁舎の裏側を撮影したもので、当時の消防車両が写っています。当時の消防車はボンネット式が主流で、防火服等も現在とは異なったものを使用していました。

写真の車両のようなボンネットタイプの車両は、四谷消防署と併設されている「消防博物館」(東京消防庁消防防災資料センター)で現在でも見ることができます。入館料は無料となっていますので、是非お立ち寄り下さい。


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