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東京消防庁ライブラリー消防雑学辞典

このページは、新 消防雑学事典 二訂版(平成13年2月28日(財)東京連合防火協会発行)を引用しています。
最新の情報ではありませんので、あらかじめご了承ください。


消防雑学事典
?火災第一号

mark 火災の歴史をたどってみると、人類の誕生にまでさかのぼることになります。
それでは話しになりませんから、記録に残っている最古の火災について述べることにします。

まずはじめは、わが国の火災史です。

「戸無き八尋殿(やひろどの)(大きな御殿の産屋(うぶや))を作りて、其の殿の内(産殿(うぶや)の内)に入り、土を以ちて塗り塞(ふさ)ぎて産む時に方(あた)りて、火をその殿に著けて産みき。故、其の火の盛りに焼ゆる時に生める子の名は火照命(ほでりのみこと)

これは、『古事記』上巻にみられる木花之佐久夜毘賣(このはなのさくやびめ)出産の場面ですが、これが記録に残るわが国最古の火災であるといわれています。

佐久夜毘賣が出産に当たって火をかけたのは、夫である邇邇藝能命(ににぎのみこと)に「佐久夜毘賣、一宿(ひとよ)にや妊(はら)める。是れ我が子には非じ。必ず国つ神の子にあらむ」と疑われたためで、身の潔白を火に焼かれるか否かで証明しようとして行ったものでした。結果的には隼人の祖である火照命(ほでりのみこと)(海幸彦)、火遠理命(ほおりのみこと)(山幸彦)らを、無事出産することになるのです。
草薙剣 日本武尊
草薙剣 日本武尊 余談になりますが、出産後に産婦の部屋に火をたく習慣は、東南アジアに広く分布しているといわれますし、奄美大島では産婦の前で真夏でも火をたいて暖め、汗を出させるようにしたということです。

野火、山焼きの古いものとしては、倭建命(やまとたけるのみこと)(日本書紀では日本武尊)が東征の際、相模国(日本書紀では駿河)での野原への放火があります。これは草薙剣(くさなぎのつるぎ)が活躍した火災として広く知られていますが、わが国の記録に残る消火活動の第一号といえるかもしれません。

兵火としては、将軍八綱田(いくさのきみやつなた)が反乱軍狭穂彦(さほびこ)の稲城(稲穂や籾(もみ)などを積みあげて作った城)に火をつけていたことが、『日本書紀』の巻第六「垂仁天皇」の項に出ています。

次に、世界の火災史をみてみましょう。
神が、ソドムとゴモラ(パレスチナ地方の低地にあったといわれ、現在は死海の南端の海中に没したものと考えられている)の町を、天から硫黄と火の雨を降らせて焼き滅ぼしたと、『旧約聖書』の創世記は伝えています。

これは、二つの町が繁栄をきわめたものの、住民が道徳的退廃の罪悪を重ねたために、神が下した審判によるものとされており、この火災が記録に残る世界で最初の大火といわれています。 



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