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東京消防庁ライブラリー消防雑学辞典

このページは、新 消防雑学事典 二訂版(平成13年2月28日(財)東京連合防火協会発行)を引用しています。
最新の情報ではありませんので、あらかじめご了承ください。


消防雑学事典
?消火器のルーツ

強化液消火器(左)とABC粉末消火器(右)
強火液消火器(左)とABC粉末消火器(右)
mark 手軽で効率的な消火器具として、今日、一般家庭にも数多く普及しているものに、消火器があります。
消火器がどのような経過で作られたのか定かではありませんが、わが国にはじめてお目見えしたのは、明治5(1872)年に行われた西京博覧会に、米国から出品されたときでした。当時は「火災消防器械」といわれ、パップロック会社製の時価30ドルから50ドルもする高価なものでした。

明治20年代の初期に、ドイツ製硫曹式消火器(硫酸と重曹水を化合させて放射する方式)の効能が実験されると、その威力に見学者は大いに驚きました。
この実験に深い感銘を受けた人々の中に、現在の丸山製作所の先代内山信治氏とその兄安次氏がいました。

安次氏は、さっそく郷里の新潟県高田町に帰り、消火器の企業化を開始し、明治28(1895)年には丸山商会を設立して、丸山式自動消火器(硫曹式〔回転式酸アルカリ〕)の販売をはじめたのです。
その時の広告には「五升器にて12畳敷位の座敷一面の火と成り居るも忽ちにして消し尽し得べし」と書かれ、五升入り鋼鉄製で6円の定価でした。

もっとも、これ以前の明治25(1892)年には、神田区の谷崎安太郎氏が消火器特許の第一号を出願していますから、このころすでに、日本でも消火器の製造があったと思われます。

泡消火器が開発されたのは、大正7(1918)年でした。
関東の岡田周平氏と大阪の乾音松氏が、相前後して消火器を製作し、米国の消火器メーカー「フォーマイト商会」の名をもじって、「泡沫消火器」と名付けたとのエピソードも残っています。

「年を経ると共に安くなって行く商品は消火器のみと聞く、粉末はその最先端を行く?」といわれた粉末消火器が輸入されたのは昭和26(1951)年のことで、輸入価は2万円以上もする高価なものでした。
翌昭和27(1952)年には、宮田製作所や川崎航空機製作所で消火器の国産化に成功し、「8KG型」と呼ばれるものが1万6,500円で売り出されました。

その後、改良が重ねられ、昭和40(1965)年には「ABC粉末消火器」が、期せずして多くの会社から販売されるようになったのです。

消火器の国家検定制度が採用されたのは、昭和25(1950)年5月17日の「消防法の一部を改正する法律」によって、消防法第19条に「国家消防庁(現・総務省消防庁)は、消防の用に供する機械器具及び設備並びに防火塗料、防火液、その他の防火薬品に関して要求があるときは、検定を行うことができる」という事項が加えられたことによるものです。

しかし、これはあくまでも任意検定制度でした。

消火器の国家検定が、本格的に実施されるようになったのは、昭和38(1963)年の消防法改正(施行は昭和39年1月1日)によって、検定業務を行う特殊法人日本消防検定協会が設立されてからのことです。
ここに初めて強制検定制度が発足し、粗悪品が市場に出回るのを阻止することができるようになりました。

消火器には、適応する火災を表示する円形の標識が付いていますが、これが付けられるようになったのは、昭和36(1961)年12月28日に「消火器の規格」が自治省消防庁告示として出されてからです。

この告示はその後改正され、現在は「消火器の技術上の規格を定める省令」となっていますが、ここで円形標示の色別などが定められています。

円形標示の白は「普通火災」(木材、紙、布などが燃える火災)、黄は「油火災」(灯油、ガソリンなどが燃える火災)、青は「電気火災」(電気設備や器具などが燃える火災)と、それぞれ適応する火災の種類を示しています。

消火器に施されている塗色については、一般的な消火器は赤色ですが、二酸化炭素消火器やハロゲン化物消火器は、緑色やねずみ色に塗色されています。それは、消火器の内容物が、高圧ガス取締法の対象となるからです。

消火器を購入するときは「国家検定合格品を選ぶこと」、「使用する目的にあっていること」、「大きさや形などいろいろあるので設置する場所を考慮すること」などの注意が必要です。

強火液消火器(左)と
ABC粉末消火器(右)



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