消防ポンプ自動車の移り変わり

1914年(大正3年)3月、東京・上野で行われた大正博覧会に、初めて2台の消防ポンプ自動車が出品されました。この2台は、1台は、イギリス・メリーウェザー社製のもので、これは横浜市が買いました。そしてもう1台のドイツベンツ社製のものは、名古屋市が買い、消防署に配備しました。
これが日本で初めて使われた消防ポンプ自動車と言われています。
東京では、1917年(大正6年)に、当時の警視庁消防部がアメリカ・ラフランス社製の消防ポンプ自動車を配備しました。これはタービンポンプ型で、放水距離が38m、7時間も連続放水できる高性能のものでした。
それまで警視庁消防部では、蒸気ポンプ(薪と石炭を燃やして、蒸気の力で水を出すもの。)と水管馬車(消防ホースを積んだ馬車)を使っていたのですが、それらはだんだんに新しいものに取り替えられ、1920年(大正9年)までに、消防ポンプ自動車25台、水管自動車25台、はしご自動車5台が配備されました。消防も機械化の時代がスタートしたのです。
1923年(大正12年)9月1日、東京にマグニチュード7.9の大地震が起きました。「関東大震災」です。地震で死亡した人も多かったのですが、その後の大火災で6万人以上の人が死亡し、38万戸余の家が焼けました。そのため、東京市(そのころは都ではなく市でした)は、翌年、新型の消防ポンプ自動車をアメリカから緊急輸入しました。この型のものは、その後20年以上使われました。
昭和に入り、1945年(昭和20年)には、戦争による東京大空襲で、死者10万人という大火災が起きましたが、戦後は東京全体を焼きつくすような大火災はありません。しかし、建物の高層化、火災原因の変化などに対応するため、消防ポンプ自動車はさらに高性能なものへと改良されています。
これが日本で初めて使われた消防ポンプ自動車と言われています。
東京では、1917年(大正6年)に、当時の警視庁消防部がアメリカ・ラフランス社製の消防ポンプ自動車を配備しました。これはタービンポンプ型で、放水距離が38m、7時間も連続放水できる高性能のものでした。
それまで警視庁消防部では、蒸気ポンプ(薪と石炭を燃やして、蒸気の力で水を出すもの。)と水管馬車(消防ホースを積んだ馬車)を使っていたのですが、それらはだんだんに新しいものに取り替えられ、1920年(大正9年)までに、消防ポンプ自動車25台、水管自動車25台、はしご自動車5台が配備されました。消防も機械化の時代がスタートしたのです。
1923年(大正12年)9月1日、東京にマグニチュード7.9の大地震が起きました。「関東大震災」です。地震で死亡した人も多かったのですが、その後の大火災で6万人以上の人が死亡し、38万戸余の家が焼けました。そのため、東京市(そのころは都ではなく市でした)は、翌年、新型の消防ポンプ自動車をアメリカから緊急輸入しました。この型のものは、その後20年以上使われました。
昭和に入り、1945年(昭和20年)には、戦争による東京大空襲で、死者10万人という大火災が起きましたが、戦後は東京全体を焼きつくすような大火災はありません。しかし、建物の高層化、火災原因の変化などに対応するため、消防ポンプ自動車はさらに高性能なものへと改良されています。

大正13年~昭和21年

大正13年~昭和28年

昭和4年~28年

昭和15年~22年

昭和45年~60年

昭和47年~63年