大正時代 | |
大正12年11月1日 | 創設 |
大正12年11月1麹町区永楽町(現在の大手町)一丁目1番に第一消防署丸ノ内派出所として創設。 「レーランド」消防車1台、署員12名 |
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大正13年2月 | 丸ノ内派出所 |
本庁直轄部隊となり、警視庁消防部丸ノ内派出所と改称。 「アーレンス・フォックス」消防車1台、署員25名 当時の「アーレンス・フォックス」消防車 ・大正12年(1924年)に輸入 ・第二次世界大戦直後の昭和21年(1946年)4月に退役するまで22年間現役 ・出力85馬力、最高速度72km/h、放水量2,700L/min ・消防活動への出動回数3,500回 (本物が消防博物館に展示されています。) |
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大正13年9月30日 | 丸ノ内消防分署と改名 |
第一消防署丸ノ内消防分署と改名し昇格。併せて庁舎を麹町区丸ノ内一丁目4番地に移転。 その一ヶ月後、「ベンツ」のはしご自動車を配置。 |
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大正14年9月18日 | 帝国議事堂火災 |
麹町区内幸町二丁目1番、焼損面積15,932u、傷者40名 | |
大正15年7月1日 | 丸之内消防署に昇格 |
消防署に昇格し、「丸之内消防署」と改称。 初代署長には島村顕治氏が着任。 「アーレンス・フォックス」消防車2台、署員37名 |
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昭和時代 | |
昭和4年12月24日 | 分家創設 |
警視庁本部庁舎に「宝田出張所」を設置。しかし、昭和6年10月15日に廃止。 | |
昭和5年12月27日 | 鉄道省炎上 |
麹町区丸ノ内一丁目1番地、鉄道省火災で、11棟19,000uが全焼。 | |
昭和9年7月10日 | 宮内庁御料地を消防庁舎に御退下 |
麹町区大手町一丁目8番地、憲兵隊官舎跡(宮内庁御料地)を丸之内消防署の敷地として御退下の承認があり、12月28日着工。 | |
昭和10年5月14日 | 「之」から「ノ」へ。新しい庁舎へ |
丸之内消防署から、丸ノ内消防署と改称。 その年の8月10日、8ヶ月の工期で耐火の新庁舎(耐火造3階、建築面積297u、延面積677u)が完成。モダンな望楼を設置。 |
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昭和11年1月20日 | 救急車の第一号 |
丸ノ内消防署を含め、品川、麹町、等6隊の救急車が配置され、運用を開始。丸ノ内に配置された救急隊は、「第一救急隊」。 | |
昭和12年11月11日 | はしご車も徴用 |
支那事変が激しくなる頃、ベンツのはしご車は、徴用を受けて上海へ。 その翌年、国産はしご車第一号の「チヨダ」を配置。 |
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昭和14年4月1日 | 丸ノ内警防団の設立 |
今日の消防団の前身として、警防団を編成。 | |
昭和14年5月19日 | 井水連絡防火水道の完成 |
ビルが建ち始め、火災の時の消火用水をそれぞれのビルで確保し、相互に有効利用するという目的で、井水連絡防火水道が完成。 ・現在も防火水道がいくつか残されている。 |
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昭和15年3月10日 | 有楽町警備派出所の開設 |
麹町区有楽町一丁目7番地に有楽町警備派出所を開設。 | |
昭和17年1月20日 | 八重洲臨時消防派出所の開設 |
戦時体勢、防空消防の一環として組織の拡充がなされ、麹町区丸ノ内三丁目3番地、省線ガード下に開設。 | |
昭和17年11月1日 | 派出所に昇格 |
有楽町警備派出所が、有楽町消防派出所に昇格。防空消防の充実へ。 | |
昭和17年11月1日 | 皇居の護りに「特別消防隊」を |
皇居と大宮御所の消防警戒のために、特別消防隊を発足。ポンプ車50台、隊員310名の編成。この特別消防隊を拡充するため、すでに設立されていた「丸ノ内防空消防施設拡充期生会」が消防車25台を寄贈。 | |
昭和18年1月1日 | 日比谷公園内にさらに派出所を |
首都中枢の防空力をさらに強化するため、麹町区日比谷公園二号地に内幸町消防派出所を開設。 | |
昭和18年7月1日 | 東京都制の発足 |
昭和19年5月17日 | 全国各地からポンプ車の供出 |
空襲に備え、関東、東北地方の各県からポンプ車317台、手引きポンプ車925台の供出を受け、日比谷公園で配置式。 | |
昭和20年9月 | GHQ設置 |
第一生命ビルに連合軍総司令部が設置される。昭和消防出張所が、接収により廃止。併せて、特別消防隊も廃止。 | |
昭和21年9月2日 | 消防署に予防係を新設 |
進駐してきた連合軍の方針により、消防行政における予防業務の必要性が指摘され、その業務を担当する予防係を新設。 | |
昭和22年3月1日 | 千代田区創立 |
麹町区、神田区を統合し、千代田区に。 | |
昭和22年10月20日 | 八重洲出張所が閉鎖 |
八重洲出張所が閉鎖。続いて都庁出張所が接収解除となり、特別消防班として再スタート | |
昭和22年12月23日 | 消防組織法の公布 |
消防の組織をどうするかという検討の結果、各自治体がその任務にあたることを基本とし、法制化。 | |
昭和23年3月7日 | 東京消防庁のスタート |
警視庁消防部から分離独立し、新たに「東京消防本部」が誕生。同年5月に「東京消防庁」と改め、消防総監を頂点とした新たな組織に。なお、先に公布されていた消防組織法がこの日から施行。 | |
昭和23年9月1日 | 出張所が里子に |
消防地区隊制度の実施に伴って、有楽町出張所は京橋消防署の下へ、特別消防班は本庁外事課へ、神田出張所、鍛冶町出張所、駿河台出張所、九段出張所は、丸ノ内消防署に吸収。 | |
昭和24年4月29日 | 東京駅八重洲口燃える |
千代田区丸の内一丁目1番地、東京駅八重洲口の火災。11棟3,036u焼失 | |
昭和24年8月23日 | 丸ノ内消防団発足 |
新たに制定された消防団令によって、丸ノ内消防団が団員100名と手引きポンプ1台を装備して発足。 | |
昭和26年3月1日 | 丸ノ内消防署、再び改称する |
丸ノ内の「ノ」を「の」と変更。このとき、管轄区域の変更が併せて行われ、有楽町出張所が原隊復帰し、神田、鍛冶町、駿河台は神田消防署の独立に伴って丸の内消防署から分離され、九段出張所も麹町消防署へ。 ・新生丸の内消防署の体制は、ポンプ車4台、はしご車1台、救急車1台、署員116名 |
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昭和28年9月6日 | スバル座炎上 |
千代田区有楽町一丁目3番地、映画館スバル座火災、木造モルタル2階建、1,030u全焼 | |
昭和33年2月1日 | 宝塚劇場火災 |
千代田区有楽町一丁目12番地、東京宝塚劇場火災、耐火造モルタル13階建、3,720u全焼、死者3名、傷者25名 | |
昭和40年12月2日 | 丸の内第一回屋内消火栓操法大会を開催 |
屋内消火栓基本操法を立案し、「自衛消防隊屋内消火栓操法コンクール」として都内で初めて大会を開催。 | |
昭和42年7月10日 | 新庁舎の落成 |
大手町一丁目8番地に、延面積1,279uの新庁舎が完成、8月1日から事務を開始。ポンプ車3台、はしご車1台、救急車1台、その他の車両6台 | |
昭和43年3月13日 | 有楽町サウナ火災 |
千代田区有楽町一丁目5番地、有楽町サウナ火災、死者3名 | |
昭和43年12月19日 | 旧中央電報局火災 |
千代田区大手町二丁目4番地、解体作業中の旧中央電報局から出火、3〜5階、3,287uを焼損。 | |
昭和45年1月1日 | 住居表示、丸ノ内が丸の内に |
住居表示の変更により、署の所在が千代田区大手町一丁目1番4号に変更。同時に丸ノ内が丸の内に変更。 | |
昭和46年11月19日 | 日比谷公園、騒動火災 |
日比谷公園を中心に騒動。松本楼1階に放火され、1棟1,694uが焼損。 | |
昭和48年9月21日 | 火災による死者ゼロがスタート |
日比谷公園内で、一人の男性が自殺して焼死。(昭和54年度に総務省消防庁の火災統計が変更され、自ら焼死した者(自損)は、火災による死者に含めないこととなる。) | |
昭和49年8月30日 | 三菱重工ビル爆破 |
千代田区大手町二丁目5番1号、三菱重工ビルで過激派の仕掛けた爆発物が爆破、多数の死傷者と共に付近建物の多くが損壊。死者8名、傷者393名 | |
昭和49年8月31日 | 有楽町出張所の完成 |
丸の内警察署の改築に併せて進められていた庁舎が完成、9月10日から事務を開始。 | |
昭和51年6月18日 | 火災による死者ゼロ1,000日達成 |
昭和54年11月29日 | 第1回火災予防安全もちつきまつりを日劇前で実施 |
人気スターの由利徹さんを一日消防署長として、「日本一安全な街 丸の内」の安全が「ながもち」するようにという願いを込めて実施。 | |
昭和56年11月20日 | 第3回火災予防安全もちつきまつりを東京宝塚劇場前で実施 |
再開発で「日劇」がなくなったことにより場所を変え、東京宝塚劇場前で、宝塚トップスターを一日消防署長として、消防演習や、応急救護訓練などを実施。 | |
昭和58年9月22日 | 火災による死者ゼロ10年達成 |
昭和62年5月31日 | 火災による死者ゼロ5,000日達成 |
平成時代 | |
平成5年9月22日 | 火災による死者ゼロ20年達成 |
平成5年中 | 本庁舎の改修工事に併せて署庁舎を2階から4階にする増改築が完了。 |
平成7年1月17日 | 阪神淡路大震災発生 |
阪神淡路大震災が発生、丸の内消防署からも応援隊を派遣。 | |
平成7年11月20日 | 災害時支援ボランティア発足 |
平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災を契機に発足。 | |
平成7年3月20日 | 地下鉄サリン事件 |
地下鉄日比谷線、丸ノ内線、千代田線の各線16駅で発生、管内では霞が関駅にもサリンを撒かれ、死者11名、傷者5,499名が被害を受ける大惨事に。救助救急活動に丸の内全隊出場。 | |
平成8年7月1日 | 開署70年 |
平成13年1月29日 | 場所を変え、もちつきまつりを実施 |
オープンしたばかりの東宝宝塚ビルで「第22回火災予防安全もちつきまつり」実施。 | |
平成13年2月6日 | 火災による死者ゼロ10,000日達成 |
平成15年9月22日 | 火災による死者ゼロ30年達成 |
平成15年10月1日 | 防火対象物定期点検報告制度の開始 |
新宿区歌舞伎町ビル火災を踏まえた改正消防法による「防火対象物定期点検報告制度」を当署でも開始。 | |
平成15年11月4日 | 火災による死者ゼロ11,000日達成 |
平成16年10月14日 | 地下駅舎の防火安全対策の向上開始 |
地下駅舎の防火安全対策の向上を図るため、火災予防条例及び同施行規則の一部改正が公布、当署管内の地下駅舎にも指導を開始。(平成17年4月施行) |
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平成18年7月1日 | 開署80年 |
平成18年7月31日 | 火災による死者ゼロ12,000日達成 |
平成18年8月4日 | 丸の内特別消火中隊が発隊、同日に運用を開始 |
東京消防庁管内の80署に平成16年度から順次特別消火中隊が発隊、今年度は丸の内消防署を含めた30署に全て配備完了。 | |
平成18年9月30日 | 優マーク認定第1号を通知 |
優良防火対象物認定表示制度(通称「優マーク」)の創設、既存住宅への住宅用火災警報器に設置義務化を図るため、火災予防条例の一部を改正する条例等が公布、平成18年10月1日から運用を開始。この制度によって、丸の内消防署から優良な建物として第1号の認定を東京宝塚ビル(千代田区有楽町一丁目1番3号)に通知。 | |
平成19年2月27日 | 丸の内消防団可搬ポンプ搬送車寄贈される |
開署80周年記念事業実行委員会より、可搬ポンプ搬送車2台が寄贈。 | |
平成21年4月25日 | 火災による死者ゼロ13,000日達成 |
平成23年3月11日 | 東北地方太平洋沖地震発生 |
東北地方太平洋沖地震発生、丸の内消防署からも応援隊を派遣 | |
平成24年1月20日 | 火災による死者ゼロ14,000日達成 |
平成24年4月1日 | 有楽町特別消火中隊が発隊、同日付けで丸の内中隊の特別消火中隊の指定を解除 |
平成26年10月17日 | 火災による死者ゼロ40年達成 |
平成26年10月17日 | 火災による死者ゼロ15,000日達成 |
平成28年7月1日 | 開署90周年 |
平成29年3月21日 | 有楽町出張所、仮庁舎に移転(丸の内三丁目8番1号) |
平成29年7月13日 | 火災による死者ゼロ16,000日達成 |
平成31年4月20日 | 大規模災害対応救急隊として指定(丸の内第1小隊が切替運用) |
令和時代 | |
令和2年4月8日 | 火災による死者ゼロ17,000日達成 |
令和4年1月2日 | 火災による死者ゼロ18,000日達成 |
令和5年9月21日 | 火災による死者ゼロ50年達成 |