女性消防吏員の誕生
最新の情報ではありませんので、あらかじめご了承ください。
消防や警察等、人びとの安全を守る職業を「公安職」といいますが、この職業に女性が登場したのは昭和20年代からです。
スタートを飾ったのは警視庁で、昭和21(1946)年3月18日に、63人の婦人警察官を採用しました。
消防に女性の消防吏員が誕生したのは、昭和44(1969)年2月に川崎市が12人の婦人消防官(現在は女性消防吏員)を採用したことが第一号です。
次いで、同年4月に、横浜市と越谷市、翌年4月には日立・北茨城・所沢・岩槻・朝霞・入間・新座・館山の各市で続々と誕生しました。
東京にワインレッドの制服姿の婦人消防官がお目見えしたのは、昭和47(1972)年4月1日のことで、第一期生64人が消防学校に入校、5か月の初任教養を修了し、8月末に15の消防署に配属されました。
この二十数年の間に、社会情勢の変化とともに、女性消防吏員の職域や勤務体制も変化してきました。
女性を採用した当初の目的は、女性が持つ特性を活かし、きめ細やかでソフトな消防行政を行うことにあり、家庭の主婦や老人、子ども等に対する防火・防災教育が主な活躍の場でした。
ところが、時代の流れとともに、社会のニーズ、そして女性自らの声により、女性と仕事について変換期を迎えることになりました。

まず、昭和60(1985)年6月に「男女雇用機会均等法」が制定され、さらに昭和63(1988)年には「地方公務員の育児休業等に関する法律」の制定や「女子労働基準規則」の一部が改正され、女性が社会に進出しやすい環境が整備されてきました。
さらに、女性の就業分野の拡大という観点から、平成6年3月11日、「女子労働基準規則」の一部が改正され、女性の深夜業の規制を解除する業務の中に、消防の業務が加えられ、平成6年4月1日から施行となりました。
この深夜業の規制が解除されたことにより、女性消防吏員も24時間体制で、119番受信指令業務、火災調査業務、情報員業務等に従事するようになり、また、平成6年末には救急隊員、平成7年末には機関員が誕生しました。
その後、消防舟艇業務、航空隊業務に従事することも可能になり、本人の意欲と能力に応じ、将来に向け職域はますます拡大されています。


さて、現在使われている女性消防吏員という呼称ですが、もとは婦人消防官といいました。
改称については、東京都が言葉の見直しを図り、婦人をいう言語を可能な限り女性に変えたことにあわせて、平成4年4月1日から新しい呼称としました。
女性消防吏員が外見上からもひときわ目立つのは、制服にあるといえそうです。
東京消防庁の女性消防吏員の制服は、ワインレッド(夏は紺色)の上衣とキュロットスカート(またはパンタロン)でした。
婦人消防官誕生当時の制服は、昭和47(1972)年のユニフォームコンテストのサービス部門で第一位の厚生大臣賞を獲得しました(ちなみに第二位は日本航空でした)。
この制服も、流行に合わせデザインを一新することになり、平成3年12月1日から、モリ・ハナエ氏のデザインによる新しい制服になりました。 ワインレッドのイメージが定着していることから、色は従来と同じワインレッドでした。
最後に、女性消防吏員の受験資格ですが、平成7年から、それまで短大卒以上だった要件が改正され、男性消防吏員と同じ18歳(高校卒程度)以上30歳未満となっています。