消防章は何の形?
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消防の象徴として、消防職員の制帽の徽章(きしょう)をはじめ、階級章やボタンの中に取り入れられている、消防章があります。
この消防章は、どんな意味を持っているものなのでしょうか。
自治省消防庁(現総務省消防庁)が定めた「消防吏員服制準則」には、徽章は「銀色金属製消防章をモール製金色桜で抱くようにする」とされ、また、冬服上衣のボタンや階級章などにも、消防章を取り入れるように定められています。
消防章の起源をたどるには、その必要性が生じた服制の歴史をひもとかねばなりません。そのためには、消防が育った明治時代の警察の制服についてみてみます。
警察の制服は、明治4(1871)年10月に設置された邏(ら)卒(現在の巡査の前身)に使われたのが最初でしたが、警察の象徴として現在も使われている日章が、初めて用いられたのは明治10(1877)年10月のことでした。
はじめは、幹部の礼帽だけにつけられていましたが、明治14(1881)年12月からは警部以上の制服のボタンに、それまでの桜花章に代わって日章を用いるようになりました。
このときに、いわゆる消防マークとよばれるY章も誕生したのです。
その後、制服は幾多の改正がなされましたが、消防職員の制服が確立されたのは昭和21年7月の勅令「警察官および消防官制服」によってでした。
この勅令で定められた消防職員の服装は、警察職員とほぼ同様なもので、警察と同じ日章を徽章やボタンにも用いていました。
しかし、これでは警察職員との区別が容易でなく、業務上にも支障があったことから、両者を区別するため新たに腕章を作り、消防職員にこれをつけさせたのです。
ところがこれが温泉マークと呼ばれて、職員の間で大変な不評を買いました。

昭和23(1948)年3月7日に、消防が警察機構から分離して自治体消防制度が発足した後も、しばらくの間は従来の服制のままで運用されていましたが、昭和25(1950)年に国の「消防吏員服制準則」が定められました。
東京では、昭和24(1949)年3月、「東京消防庁消防吏員服制」が制定され、同年4月1日から施行されました。
消防章という文字や消防章の型が初めて使われたのは、この東京消防庁消防吏員服制によるものです。
それからしばらくの間は、消防章という名や形はあるものの、正規の規格や制定理由などは何も示されていませんでした。 それがはっきりと決められたのは、昭和26(1951)年10月に告示された「東京消防庁の使用する消防章」によってでした。
「消防章の図案」は、雪の結晶の拡大図を基礎とし、これに日章を中心として水管、管そう、それに筒先から放出する水柱を配したものなのです。
雪の結晶は、水、団結および純潔を意味し、消防職員の性状を表しています。
水管、管そう、そして水柱は、消防の任務を完遂する機械と水を表し、日章はもちろん消防のありかた、すなわち、都民の太陽でありたいという願いを表しています。
ところで、消防マークですが、明治・大正・昭和の時代はもとより、平成の現代にも引き継がれて使われています。
誕生当時は、消防機関士以上の腕章に使われていたものですが、やがて消防車などの車体にもマークとして付けられるようになり、今では消防団の徽章にも使われています。
Y章が何を意味して作られたものかについては、いろいろな説がありますが、確かにこれだと断定できるものはないようです。
例えば、破壊消防の器具であった刺又を図案化したものとか、江戸火消の象徴である(纏の陀志だし)(纏の頭の部分)を図案化したものだという説などがあります。
このほかにも桜の花弁を表したものだとか、イギリスから伝わった貯水槽の蓋を開ける鍵(消火栓鍵?)を表したものだという説もあります。
このY章がローマ字のYと似ているところから「Y」という記号に変形し、地図上で消防署の所在地をしめすようになったのは、明治42(1909)年ごろからのことです。
国土地理院はY記号誕生のいきさつにY章があったとし、その意味で刺又説をとっています。
