火事場の旋風

このページは、新 消防雑学事典 二訂版(平成13年2月28日(財)東京連合防火協会発行)を引用しています。
最新の情報ではありませんので、あらかじめご了承ください。

「対岸の火事」というと自分には無関係のことの例えですが、現実の火災ではまったく当てはまらない言葉です。
というのは飛び火の恐ろしさが忘れられているからです。

「飛び火」は、延焼が予想されないような離れた場所に、新たな火災を発生させてしまうものですから、消火活動上大変やっかいな代物です。
火の粉は、最初の火災現場から吹き上がる火炎の熱気流に乗って舞い上がり、風に流されて離れた場所に落下して、そこで燃え上がるのです。 川を飛び越え対岸に火災を発生させることは、そうめずらしいことではないのです。

飛び火は、火災の現場からだけ発生するものではありません。 ふろの煙突から出る火の粉、電気のスパークによる火花、たき火から舞い上がる火の粉などが飛んで、火災となる例も多いのです。
火の粉といっても大きさはいろいろで、数ミリのものから数十センチメートルに及ぶものもあります。 飛距離は、ふつうは50から200メートル位ですが、2キロメートル以上の遠くまで飛ぶこともあります。

昭和27(1952)年4月17日、午後2時55分に発生した鳥取の大火は、蒸気機関車の火の粉が飛び火したことが原因でした。
出火当日の鳥取市はフェーン現象下にあり、南南西の風が13メートル、湿度は28パーセントという気象条件でしたから、火はまたたく間に燃え広がって5,228戸を焼き、死者3人、傷者3,963人を出して翌日の午前3時ごろようやく下火になりました。 この鳥取の大火のときにも2.5キロメートル離れた場所で、40センチメートル四方の亜鉛鉄板と、10センチメートル四方の炭化した木片などが発見されたと記録されています。

火災現場で発生するものとしては、火の粉のほかに旋風があります。 これは一般には火事場風といわれているものです。
大正12(1923)年の関東大地震のときにも、数多くの旋風が発生しましたが、その最たるものが本所被服廠跡の旋風で、多数の人命を奪ったものとしてひろく知られています。

本所一帯の住民は、迫り来る火災から逃れようと、被服廠跡の広場へ続々と集まりました。
4万人余の群衆が家財道具などをもって3万坪(約10万平方メートル)程度の敷地を埋めつくし、隅田川を背にしてホッと一息ついたのは、午後の3時ごろでした。
それから間もなく旋風により大惨劇が起こったのです。

惨劇の状況を『大正大震火災誌』は、次のように記しています。

本所被服廠跡構内惨劇の一瞬前

「何事とも知れず、がうーっと云って地の底からくつがへるやうな物凄い音響が、安田家の森と思ふ方向から湧き起ってきた、そして同時に私達の頭の上には瓦と言はず、茣蓙と云はず、トタンと云はず、つぶてのやうにバラバラと降り注いで来た。
悲鳴はそこにもここにも挙げられ、世は見る見る中に渾沌そのもののやうになってしまった。
あまりのことに、度を失った私達は急に考へることも、立つ事も、餘裕もなくなって、夢中で蓆の上に突伏した。
するとどうであらう、5人も6人も一緒になって坐ってゐた私共の蓆が、そのまますうっと一二間前にすべり出したのであった。
『おお恐ろしい力』驚いて私は友の體につかまらうとしたが、もう其時は私の體が疾風のやうに轉げまわされてゐた。 そして『意識さへ無くなれば・・・意識さへ無くなれば・・・何時死んでもいい・・・』僅かにさうした一筋の念願を殘して、あとは時間も空間も私の頭からは永遠に去ってしまったかのやうだった。 (中略)

さっきまで、地ともつかず空ともつかず私の體を引づり廻してゐたあの旋風が同時に廣い隅田川を越え、安田家の森を飛んで持って来たところの猛り狂った火の車をば、思ふ存分この中で乗り廻したに違ひない。

おおそしてどんなに澤山の人々が、その車輪の下に譯もなく踏みひしがれたことであらうか、思へばその間、私には殆んど何程の時間を経たのかも想像出来ないのであるが、私の立ってゐる所は、本當に此世の内とは言へなかった。

日はもう遠うに暮れてしまったらしく血のやうだった太陽の影も形も見えなくて、數萬と云ふ私達小羊はいつの間にか廣い被服廠跡と共に火宅の世界に落されてしまってゐた。

天も地も火、どうしてこんな中に私は生きて居られたのだらう、あちらにもこちらにも死人の山が幾塊となく出来て、それが呻いてゐる、叫んでゐる、泣いてゐる、おおそして崩れて行く・・・」

この惨事は、火災旋風の恐ろしさと、避難場所の選定の難しさを、改めてわれわれに教えてくれました。

東京都では平成10年3月末現在、地震の際の広域避難場所として172か所を指定しています。

避難場所を指定する場合の考え方としては、
(1)周辺市街地大火によるふく射熱(2,050キロカロリー毎時)から、安全な有効面積を確保する。
(2)避難場所内部には、震災時に避難者の安全を著しく損なう恐れのある施設が存在しないこととする。
(3)有効面積は、避難場所内の建物、道路、池などを除き、利用可能な避難空間とし、一人当たり1平方メートルを確保することを原則とする、
などを基準として指定されています。

このほかにも、避難場所の安全性を向上させるためには、いろいろな危険要因を考慮して、それに対する対策をたてなければなりませんが、火災旋風対策なども当然含まなければらないものでしょう。

火災によってなぜ旋風が起こるかについては、いろいろと研究されていますが、今までに分かったものとして、
 ●火災で発生した大量の熱気が上昇し、冷気と混じり合うこと
 ●風の走りを助長する滑らかな面、例えば水面や広場が存在すること
 ●適当な風速があること(ただし、10メートル以上の強風では発生しないといわれている)  が、火災旋風発生要因として挙げられています。

新吉原遊郭仲之町猛火旋風之真景

昭和20(1945)年3月10日の東京大空襲のときも、同時に多発した火災によって旋風が発生しました。

江東地区では焼夷弾攻撃を受けて、630万坪(約2,079万平方メートル)が一瞬のうちに火の海と化しましたが、この地域から1,600メートル離れた所で、風速12メートルを観測したとの報告もありました。6時間燃え続けたこの火災で、2,000メートルもの上空まで熱気が上昇したため、米軍の爆撃機は航路変更を余儀なくされ、搭乗者は酸素マスクを着用しなければならなかったそうです。