江戸時代の消防ポンプ
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ポンプは、原動機から機械的エネルギーを受けて液体を吸い上げ、その液体にエネルギーを与えてそれを高く上げたり、遠方へ圧送したりする機械です。
ポンプが発明された歴史は古く、紀元前にまでさかのぼります。
というのも、戦争の道具として高所の火を消す、投水具が必要とされたからです。
紀元前440年、ギリシアのアポロドラスは、牛の内蔵を利用して皮袋の放水具を考案しましたが、ポンプというにはあまりにも幼稚なものでした。
アレクサンドリアの発明家クテシビオスが、今日の消防ポンプの形を備えた最初の機械を造ったのは、紀元前245年のことでした。このポンプは、二つの真鍮製の動力ポンプを、一つの流出管に連結して組み立てたもので、気筒は木製の台に取り付け、下部は水中に浸されていました。
わが国における消防ポンプのあゆみは、龍吐水(りゅうどすい)に始まります。この龍吐水は、放水する様子が、龍が水を吐くように見えたことから名付けられたといわれています。
いつごろ発明されたのかはっきり分かりませんが、一説には、享保年間(1716~36)にオランダから渡来したともいわれ、また、宝暦4(1754)年に長崎で、オランダの技術者の指導で造られたとの説もあります。
他にも名称は違いますが、平野屋藤兵衛、河内屋喜三郎の万龍水、桧屋利兵衛の龍起水、天王寺卯兵衛の鮮龍水・双龍水、近江大椽田中久重の雲龍水などの発明記録が残っています。

寛延4(1751)年、江戸においては、町年寄が名主の代表を集めて「近ごろ龍吐水という消火道具が売り出されているが、消防のためによろしいようにみえるから、町火消一組に4つ5つ備えるようにしてはどうか」と勧めています。 これによりすでにこの時期には龍吐水が作られ、その威力も知れわたっていたことがうかがわれます。
そして明和元(1764)年には、町火消十三組に龍吐水が一基ずつ支給されました。
これが消防機械の官給品第一号ではないかと思われます。
この龍吐水は、江戸時代中ごろから明治10年代にかけて使用されてきましたが、明治17(1884)年末に、国産の腕用ポンプが量産されたことに伴って、廃止されることになりました。