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東京消防庁ライブラリー消防雑学辞典

このページは、新 消防雑学事典 二訂版(平成13年2月28日(財)東京連合防火協会発行)を引用しています。
最新の情報ではありませんので、あらかじめご了承ください。


消防雑学事典
?たたき起こされた臥煙(がえん)

火消卒(がえん)の生活
火消卒(がえん)の生活

mark 江戸城の防火を目的として設置された消防組織である定火消は、慶安3(1650)年6月、幕府直属の4,000石以上の旗本をもって創設されました。 万治元(1658)年には4組でしたが、その後数回の改廃を経て、宝永元(1704)年には10組となったことから、別名十人屋敷、十人火消と呼ばれていました。

定火消には、八代洲、赤坂、お茶の水、四谷などに火消屋敷が与えられ、各屋敷には与力や同心、そして火消活動を行う臥煙(臥烟又は火煙とも書いた)などおよそ100人近くが常駐していました。
与力や同心のもとにあって、直接消火作業に当たった臥煙について、太田櫛朝は『江戸乃華』で次のように述べています。

「火消卒をぐわえんといふ。すなわち臥烟(ぐわえむ)の音称なり。 此ぐわえんといふもの、江戸者多し。極寒といへども邸の法被(はっぴ)一枚の外衣類を用ひず、消火に出る時は、満身の文身(ほりもの)を現はし、白足袋はだし、身体清く、男振美しく、髪の結様法被の着こなし、意気にして勢よく、常に世間へは聊(いささ)かの無理も通りければ、祁寒の苦を忘れて、身柄の家の子息等のぐわえんに身を誤るもの少なしとせず。 此者共皆大部屋に一同に起臥し、部屋頭の取締りを受く。
又義侠ありて、よく理非を弁ふ。火事なき時は三飯の外は吾身の掃除なり、夜中臥すに長き丸太を十人十五人一同に枕とす、櫓太鼓鳴や、枕木の小口を打て起せば、直ちに飛出て火に赴くといふ。火中命を捨る者まゝありし。・・・」

現在の消防職員は、夜間出場する場合でも出場指令の放送を聞いて飛び起きますが、臥烟は、一列に並んで寝ている木枕の小口を、寝ずの番が木づちで叩き、その音と振動によって起こされました。

“たたき起こす”の語源は、さしずめこの辺にあるのではないかとする説に、うなずけなくもありません。



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