このページは、新 消防雑学事典 二訂版(平成13年2月28日(財)東京連合防火協会発行)を引用しています。
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明治維新により、わが国の政治、経済、文化などは一大変革をとげ、消防制度についてもこれらの影響を少なからず受けるところとなりました。
それは江戸火消の流れをくむ町火消が、消防組という名称に改称されたことに並行して、消防組員に対して、旧来の鳶人足という古い思想を打破するため、消防組員の服務・規律、進退・賞罰などについて定めた「消防章程」が制定されたことに象徴されています。 明治維新後、東京府(現東京都庁)、司法省警保寮(現警察庁)、東京警視庁(現警視庁)などと所管が転々と変わっていた消防事務は、明治13(1880)年6月1日、内務省警視局(現警察庁)のもとに創設された消防本部(現在の東京消防庁の前身)が所管することとなりました。
消防本部が誕生して約半年後の明治14(1881)年1月14日、消防本部は消防本署と改称され、同日、再設置された現在の警視庁に属することとなりました。以後消防は、自治体消防制度が誕生するまでの70年間にわたって、警察機構の中に属していました。
消防本部創設一年後の明治14年6月1日、消防本署のもとに現在の消防署の前身である消防分署が6分署設置されました。設置された消防分署名と場所は、次のとおりです。
消防第一分署(現在の日本橋消防署)日本橋区坂本町消防分署が消防署という名称となったのは、明治39(1906)年のことです。 当時の消火活動は、現在のように消防吏員が行うのではなく、大正2(1913)年、判任官待遇の消防手(現在の消防士)が採用されるまでの間は、消防組員が消防分署長(現在の消防署長)の指揮に従って行っていました。
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