このページは、新 消防雑学事典 二訂版(平成13年2月28日(財)東京連合防火協会発行)を引用しています。
最新の情報ではありませんので、あらかじめご了承ください。
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消防出初式の移り変わり
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今日、新春行事の一つになっている消防出初式の起源は、遠く万治2(1659)年に遡ります。明暦3(1657)年の大火を契機として、万治2(1659)年1月4日、時の老中稲葉伊予守正則が、定火消総勢4隊を率いて、上野東照宮前で出初を行って気勢をあげたことが、当時焦土の中にあって苦しい復興作業にややもすれば絶望しかねない状態であった江戸市民に、大きな希望と信頼を与えました。
このことが契機となって定火消の「出初」は、毎年1月4日上野東照宮で行われることとなり、次第に儀式化され、恒例行事となって今日の出初式に受け継がれています。
明治8年の出初式の錦絵(三代広重画)
また、定火消の誕生から約60年後の享保3(1718)年に設置された町火消にも、定火消の「出初」をまねる習わしが伝わり、定火消のそれと区別して初出と称し、1月4日に木遣歌を歌い、はしご乗りなどを、それぞれの組の町内で行っていました。
明治時代に入ってから、町火消以外の江戸消防は全て廃止となり、町火消もまた消防組と名称が改められました。
明治8(1875)年1月4日、東京警視庁(現在の警視庁)は、東京市内の全ての消防組を丸の内の旧東京都庁舎付近にあった東京警視庁練兵場に集め、第1回東京警視庁消防出初式を挙行しました。これにより明治維新以来中断していた出初式は復活しました。
当時の出初式の光景を、三谷祥介著の『帝都消防出初式の今昔』から引用すると、次のようです。
「この日午前8時望火楼において出発信号を伝へ、これを聴いた消防組員は、警視出張所(現在の警察署に相当)に集合し、少警視はこれら消防組員を引率して警視庁練兵場へ行進をはじめるのであった。
こうして各出張所の消防組員が集合してしまうと、大警視(現・警視総監)は主任官を従へて、中央にしつらえた桟敷の上へまかり出たのである。
式の次第というのは、第一大区一番組より順次梯子乗りをやっておめにかける。消防組員が、めでたく首尾を収めたときは、手拍子を以ってする習慣だから、各組の梯子乗りが終わるごとに拍子をおくるのであった。
これが終わると大警視は出張所の少警視を呼んで、酒肴の目録を授ける。
少警視は、これを受けてさらに組頭に伝達した。
すると各大区の組頭は、順次に大警視の前へ進んで拝謝をやり、すべて終わったところで大警視は主任官を従へ、桟敷から退場するという段取りである。
その後で目録のとおり、現場での酒肴の現物配給を受けて、組員は大いに食い、大いに飲むというのが式の次第であった。」
明治9年以後の出初式の移り変わりは次のようです。
明治9(1876)年1月4日、明治天皇の天覧のもとに、御所御車寄せの広場において出初式を実施
明治8〜32(1875〜99)年までの間に実施した出初式には、確たる規定がなかったため、明治32年12月、警視庁訓令により、「消防出初式順序」を制定。(第一条 消防出初式ハ毎年1月4日之ヲ挙行ス。但シ当日雨雪ニ際スルトキハ同月6日トシ、尚当日雨雪ナルハ之ヲ行ハス)
明治36(1903)年、会場に櫓を組み、救助袋と救助幕を用いて、避難救助演習を初めて式典の中に取り入れた。
昭和天皇御臨席のもとに行われた昭和4年の出初式(皇居前)
大正5(1916)年からは1月6日に実施
大正8(1919)年、初めて消防ポンプ車が参加
大正11(1922)年、初めて消防体操、人梯競技を式典の中に取り入れ、日比谷公園において実施。また、出初式会場は、東京警視庁練兵場を皮切りに、呉服橋永楽町ヶ原、馬場先門外三菱ヶ原、上野公園不忍池畔等と移り変わり、日比谷公園となった。
大正12(1923)年、初めて会場に高声電話(拡声器)を取り付け、式の司会を行った。(大正13年は震災により中止)
大正14(1925)年、初めてはしご自動車が参加し、宮城(皇居)前広場で実施
昭和4(1929)年、昭和天皇御臨席のもとに、特設消防隊(公設消防職員)および全国消防組の親閲式が行われた。
昭和5(1930)年、中央放送局(現在のNHKラジオ)により、式場の模様が初めて全国に実況中継された。
昭和15(1940)年1月15日、この年から消防出初式の名称を帝都消防検閲式と改め、代々木練兵場において実施し、模擬火災には六機編隊による焼夷弾投下が行われるなど、戦時色の濃い式典となった。また、実施日を1月15日に改めた。(昭和20年、21年は中止)
昭和22(1947)年1月15日、戦後初めての出初式を、帝都消防出初式という名称のもとに、士気の高揚と、一般市民の防火思想の普及宣伝を目的として、皇居前広場において実施
昭和24(1949)年の出初式から、名称を東京消防出初式と改めた。
昭和28(1953)年から、実施日が1月6日に変わり現在に至っている。
昭和29(1954)年から、テレビの実況中継放送を開始(昭和39年までは、日本テレビ、NHKテレビなど数局で実施していたが、昭和40年からはNHKテレビのみとなり、カラー放送を開始)
東京消防出初式(平成12年)
昭和32(1957)年から、明治神宮外苑において実施
昭和40(1965)年から、晴海の会場において実施
昭和43(1968)年から、ヘリコプターも加わり、陸空一体の出初式を実施
昭和44(1969)年から、都民ぐるみの消防演習を式典のなかに取り入れた。
昭和51(1976)年から、消防艇も加わり、陸海空一体の出初式を実施。
昭和55(1980)年、「東京の消防100年」を記念して、明治、大正、昭和の三代にわたる消防クラシックカーのパレードを実施
昭和62(1987)年から、国際消防救助隊、カラーガーズ隊が参加
平成2年、偵察ロボット(ファイヤーサーチ)の試作機が参加
平成5年、「ファイヤーセーフティフロンティア'94」のマスコット「ポンパル」及び壁面昇降ロボット(レスキュークライマー)が参加
平成8年、阪神・淡路大震災の災害状況を踏まえ、都民、災害ボランティア、消防団による救出救助訓練が加えられた。
平成10年から、有明の東京ビッグサイトにおいて実施。「自治体消防50年」を記念して、昭和初期から現代までの消防車のパレードを実施、出初式最後の一斉放水にも参加し華を添えた。
平成11年、「東京の消防119年」を迎え、119年前に制作した「龍吐水」を展示するとともに、消防少年団員による放水訓練、119年前からの災害・組織の変革などを年表やパネル展示で紹介
平成12年、救急ヘリコプターの運用開始に伴い、消防隊の救出から救急隊への引き継ぎヘリコプターへの収容、病院への傷病者の搬送を披露
平成15年、江戸幕府開府400年記念展示を実施
平成17年、東京ビッグサイト内の東駐車場に会場を移転し、実施。新たに創設された特別消火中隊による航空機火災演技を披露
平成18年、機械部隊分列行進先導車両に、オープンカー(赤1台、白4台、ジープ2台)を導入。「がんばれ消防応援団」として、芸能人による応援を実施
平成21年、消防演技に緊急消防援助隊(川崎市、千葉市、さいたま市)が参加。※横浜市は平成24年から参加
平成25年、消防ヘリコプターの機動力を活用し、出初式会場に初めて消防ヘリコプターを着陸させ、消防救助機動部隊を投入した陸空の消防演技を披露
平成27年、大韓民国ソウル特別市から、ソウル消防災難本部の救助隊員4名が海外都市救助隊として初参加し、消防救助機動部隊との連携した演技を披露
平成28年、空から迅速かつ効果的な消火・救助・救急活動を展開する専門部隊、航空消防救助機動部隊(通称:エアハイパーレスキュー)の発隊に伴うセレモニーを実施
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