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東京消防庁ライブラリー消防雑学辞典

このページは、新 消防雑学事典 二訂版(平成13年2月28日(財)東京連合防火協会発行)を引用しています。
最新の情報ではありませんので、あらかじめご了承ください。


消防雑学事典
蒸気ポンプから消防ロボットまで

国産第1号蒸気ポンプ
国産第1号蒸気ポンプ スティーブンソンが蒸気機関車の製作に成功したのは、1814年のことでした。

その後、改良された蒸気機関を使って、1829年には、イギリスのジョージ・ブラィスウェイトとジョン・エリクソンが、はじめての蒸気ポンプ“ノービリティ(名門)号”の製作に成功しました。
このポンプは10馬力で、毎分900〜1,200リットルの水を約30メートルの高さまで放水できるもので、消防機器の機械化第一号でしょう。

アメリカでは、イギリス人技師のホウルラプセイ・ホッジを招き、彼にニューヨーク市公会堂の国旗掲揚塔を越える放水能力を持つ、蒸気ポンプの製作を依頼しました。
彼は真剣にこの難問に取り組み、研究を重ねた結果、1841年の3月末にこれを完成させ、公開試験で見事にその性能を披露しました。
このホッジの蒸気ポンプは、自力走行できる性能を持っていましたので、消防自動車第一号といえるでしょう。
ちなみに、自動車の元祖であるキュニョー(仏)の三輪車は、1769年に大砲牽引用として、ナポレオンのために作られたものといわれています。

和田倉門外(皇居前)における輸入ポンプ車の放水試験(大正6年)
和田倉門外(皇居前)における輸入ポンプ車の放水試験(大正6年)


わが国では、明治3(1870)年に初めて東京府消防局が、イギリスから蒸気ポンプを輸入していますが、国産の蒸気ポンプ第一号の製作は、市原ポンプ製作所によって、明治32(1899)年に行われました。

ところで蒸気ポンプの普及には、いろいろなことがありました。昔からの手押しポンプに比べ、数倍の威力をもつ蒸気ポンプですが、それぞれの国情によって、スムースな受入れができなかったようです。

まずロンドンでは、強力なポンプがあっても水の供給が充分にできない(すなわち、水利に乏しい)こと、一般市民と火災保険会社が対立したことなどから、不採用となっています。

アメリカでは、蒸気ポンプの使用によって、他の手押しポンプが無用となることや、消防職員の仕事がなくなるのではないかなどを理由に、ニューヨークの消防隊で反対の声が起こり、蒸気ポンプは保険協会にお蔵入りとなってしまったのです。

わが国でも、明治3年に東京で初めて蒸気ポンプを輸入したものの、市内の道路が狭くて効果的に移動できないこと、操作が複雑で十分に使いこなせないことなどから、明治9(1876)年には北海道支庁の函館に売却されることとなりました。ところが、ここでも十分な利用ができず、明治18(1885)年には盛岡市に売却されてしまったのです。

以上のようなことがあったものの、消防ポンプの威力まで衰えるものではありません。消防の近代化の波に乗って、その後も高性能の腕用ポンプや蒸気ポンプが輸入され各地で使われだしたことと、国産化が成功したことも加わって、消防の機械化が進むことになったのです。

アーレン・フォックス(大正13年)
アーレン・フォックス(大正13年) 東京では明治17(1884)年7月1日に従来から使用してきた龍吐水に代えて、消防本署(現在の東京消防庁本庁の前身)に蒸気ポンプと駆走馬車(人員輸送車)を一台ずつ配置し、また、各消防分署(現在の消防署の前身)には全部で40台のドイツ製腕用ポンプを配置しています。

わが国で消防ポンプ車を採用したのは大阪府が初めてで、明治44(1911)年、ドイツからベンツ製の消防ポンプ車を当時の金で1万円で輸入しました。大正3(1914)年には東京で大正博覧会が開かれ、消防ポンプ車がイギリスとドイツから出品されました。これを見て横浜市と名古屋市が、それぞれ購入して使うことになりました。
東京では大正6(1917)年に、アメリカのラフランス社から定員8人の消防ポンプ車を初めて購入しました。
このポンプ車の性能は、放水距離が39メートルにも達し、最高速度は80キロもあったということです。

以後、昭和14(1939)年に、国産の消防ポンプ車が製作されるようになるまでの間、外国製の消防ポンプ車が活躍していました。

戦時中の消防車両は、手引ガソリンポンプと普通ポンプ車が主流でしたが、昭和30年代に入り、住宅密集地や水利不足地域の火災等に対応できる、水槽付ポンプ車を開発しました。

その後、日本経済の高度成長とともに都市構造は、高層かつ深層化し、また、危険物施設の増加などにより、各種災害危険の要因が急増しはじめたことに伴い、化学車や40メートル級はしご車等の消防車両を開発しました。

一方、高層ビル群の増加傾向から、救助対策として災害時における人命救助、情報収集などに従事するヘリコプターを導入し、わが国初の「消防航空隊」を昭和41(1966)年に設置、翌年運用を開始しました。

昭和40年代に入ると経済や産業の発展に伴い、都市構造や社会構造が複雑多様化し、救助活動にも専門的かつ高度な技術が要求されるようになりました。
これらのことから、昭和44(1969)年には各種の災害や救助事象等に対応できる、特殊資器材を装備した救助車を開発しました。

また、消防隊員が接近困難な油脂火災や爆発危険を伴う災害等に対し、遠隔操作で災害現場に接近し、大量放水や泡放射により消火する無人走行放水車(愛称:レインボーファイブ、昭和61年度導入)、土砂に埋没した車両の引上げ作業や救助作業に必要なクレーン装置を装備した工作車(昭和63年度導入)、毒・劇物、放射性物質等の施設およびこれらの輸送車両からの、火災や漏えいなどの化学災害に対処するために、ガス分析装置等を搭載した特殊化学車(平成元年度導入)、震災時等大規模火災で、がれきなどを除去し進入路を確保する防災機動車(平成3年度導入)などを開発し、関係消防署に配置しています。
現代のポンプ車     
現代のポンプ車
さらに、あらゆる災害に対応できるようにするため、消防機器のロボット化を推進しています。

洞道や地下街等での火災等に対して、遠隔操作で高圧水のジェット噴射により火点に接近し、消火を行う遠隔操作式消火装置(愛称:ジェットファイター、昭和63年度導入)、濃煙、有毒ガス等で、消防隊員による内部進入が困難な災害に対し、内部状況等の把握を行い、消防活動の支援を行う偵察ロボット(愛称:ファイヤーサーチ、平成2年度導入)、深さの度合いや障害物等のため、水難救助隊員による対応が困難な水難救助事象に対し、水上等からの遠隔操作により、被救助者の検索等を行う水中ロボット(愛称:ウォーターサーチ、平成3年度導入)、濃煙・熱気等が充満する災害現場における要救助者を救出するため、濃煙内撮像装置、可燃性ガス測定装置・障害物検知装置等を装備して、遠隔操作によって救助活動を行う救出ロボット(愛称:ロボキュー、平成5年度導入)等を開発して、災害現場で活用しています。




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