荒川消防署から救助隊が出場しました
昭和37年5月3日 21時37分頃に国鉄(現JR)常磐線三河島駅付近で起きた列車脱線多重衝突事故です。
常磐線・三河島−南千住駅間の貨物線を走っていた下り蒸気機関車の機関車が赤信号を誤認し前部の機関車が下り線路内に脱線し傾いて停止した。その2分前の9時35分、三河島駅を1分遅れで発車した上野発取手行きの下り電車が、脱線した下り電車に衝突し、上り線路内に脱線した。
このため、乗務員らは乗客に三河島駅へ歩いて引き返すよう誘導したが、一部の乗客が線路内を歩き始めた。 そこへ、9時40分、南千住駅を発車した上野行き上り電車が脱線した下り電車に衝突、轟音とともに火花を散らして脱線。 1両目は車体だけを残して大破、2、3、4両目は5メートル下に落ち民家に突っ込んだ。下り電車の2、3両目も脱線し、大惨事となった。この事故に際し、荒川消防署や近隣の消防署から多くの救助隊や救急隊が出場し活動にあたりました。
現在、駅近くの浄正寺には三河島列車事故の慰霊観音像が建立されています。
また、この事故による荒川消防署の活動功労に対し、当時の内閣総理大臣である池田勇人首相から表彰されました。
三河島列車事故の活動功労に対して頂いた賞状と盾です。
死者 160人 負傷者 396人
この事故を機に、自動列車停止装置(ATS)が、計画を前倒しにする形で国鉄全線に設置されることになり、 1966年(昭和41年)までに一応の整備を完了した。
三河島列車事故が起きた際、多くの犠牲者の方たちが、三河島駅近くにある浄正寺に運ばれて供養されました。近隣に住む方たちが協力し、怪我をした人や亡くなられた人を家の戸板を外し担架代わりにして使い運ぶなどの助けもありました。
事故現場に生えていたツツジは今ではお寺の敷地内に植えられています。