1932年
昭和7年12月16日
日本橋白木屋百貨店火災
消防職員等799人、ポンプ車29台、はしご車3台、水管自動車2台が出場した。本火災は昭和に入り初めての高層建物火災である。
焼損面積約14,000m²、死者14名、
傷者67名
1933年
昭和8年4月1日
先行員制度
訓令甲第32号火災警防規定(大正15年7月訓令第49号消防出動規定の改正)第31条、第42条、第45条1項に先行員の制度と任務が明文化された。
昭和8年6月10日
救助自動車の配置
警視庁管下最初の救助自動車(フォード・トラック改造車)が神田消防署に寄贈(神田消防署後援会)された。
1935年
昭和10年8月27日
専任救助隊制度
旧東京市内の各方面1署に配置とし、神田、芝、麹町、本郷、下谷(上野)、深川の6署に専任救助隊を編成した。
1948年
昭和23年5月1日
東京消防本部の発足
昭和23年3月7日
東京消防本部を東京消防庁と改称
東京消防学校を設置。
1955年
昭和30年3月7日
専任救助隊の復活
第二次大戦中、専任救助隊制度は防空消防の重点化とういう施策のもとに廃止されたが、養老院「聖母の園」の火災を契機に36の消防署に復活させた。
1962年
昭和37年5月3日
三河島駅構内列車衝突事故
死者160名、傷者369名
1963年
昭和38年10月21日
救助技術指導者の育成
10月21日から3週間、救助隊に必要な救助行動、救護技能及び教育法を習得するため、各消防署から選抜した消防司令補1名を陸上自衛隊第一空挺師団の教育隊へ派遣した。
1964年
昭和39年7月14日
宝組勝島倉庫爆発火災
死者19名(消防職員18名、消防団員1名)傷者114名、焼損面積7,563m²
1969年
昭和44年8月1日
永田町特別救助隊暫定運用開始
将来構想として各方面2隊の特別救助隊設置方針が固まり、特殊な装備と技術を備えた特別救助隊の運用開始に向け、麹町消防署永田町出張所に特別救助隊を設置し、暫定的に運用を開始した。
1971年
昭和46年6月15日
永田町特別救助隊正規運用開始
昭和46年10月15日
西新井特別救助隊運用開始
西新井特別救助隊は2署分割による署名変更に伴い、昭和51年3月1日より足立特別救助隊に隊名を変更した。
1972年
昭和47年4月25日
空港特別救助隊大和特別救助隊運用開始
昭和47年9月28日
第一回全国消防救助技術大会
練馬区の豊島園で実施された。昭和47年9月21日には第一回消防救助技術関東地区大会が同場所で実施されている。
昭和47年11月20日
目黒特別救助隊城東特別救助隊運用開始
1973年
昭和48年3月28日
板橋特別救助隊錦町特別救助隊運用開始
錦町特別救助隊は署所の配置替えに伴い、昭和55年7月25日より立川特別救助隊に隊名を変更した。
昭和48年7月24日
救助服の制定
オレンジ色の救助服(錦混紡)が定められた。
昭和48年11月28日
特別救助隊の愛称等の決定
職員及び都民から募集し、警防部で選考後、部長会で審議され、愛称「東京レスキュー」、通称「オレンジ部隊」、腕章、ボディーマーク「セントバーナード犬」、ボディーライン「つばめライン」と決定された。
1974年
昭和49年3月25日
はしご特別救助隊の運用開始
はしご車の特性を十分に生かした立体的な救助体制の確立を目的として、昭和49年に渋谷、淀橋(現:新宿)、深川、三鷹の4消防署のはしご隊を、はしご特別救助隊として指定した。
昭和49年3月25日
淀橋はしご特別救助隊渋谷はしご特別救助隊運用開始
淀橋はしご特別救助隊は署名変更に伴い、昭和50年4月1日より新宿はしご特別救助隊へ隊名を変更し、その後署所の配置替えに伴い、昭和50年4月20日より十二社はしご特別救助隊に隊名を変更した。
昭和49年8月22日
豊洲はしご特別救助隊三鷹はしご特別救助隊運用開始
豊洲はしご特別救助隊は、署所の配置替えに伴い、昭和54年12月21日より深川はしご特別救助隊に隊名を変更した。
三鷹はしご特別救助隊は、署所の配置替えに伴い、昭和49年12月18日より下連雀はしご特別救助隊に隊名変更した。
昭和49年10月23日
水難救助隊の運用開始
西新井及び城東は特別救助隊と切替運用とし、臨港を含めた3消防署において水難救助隊の運用を開始した。
1975年
昭和50年2月15日
松濤特別救助隊淀橋特別救助隊豊島特別救助隊運用開始
松濤、淀橋及び豊島特別救助隊は、ポンプ付きの救助車を運用し、火災現場においてはポンプ隊と連携した鎮火、人命救助活動にあたり、救助現場においては特別救助隊と同様の任務とする二面性を持つ隊として運用を開始した。
淀橋特別救助隊は、署名変更に伴い昭和50年4月1日より新宿特別救助隊に隊名を変更した。
松濤特別救助隊は、署所の配置替えに伴い、平成元年4月1日より渋谷特別救助隊に隊名を変更した。
1976年
昭和51年4月1日
芝特別救助隊本田特別救助隊運用開始
ポンプ付き救助車により運用を開始した。
昭和51年4月10日
ポンプ付特別救助車の連携指定を解除
全てのポンプ付特別救助車は特別救助隊として単隊運用となった。
1977年
昭和52年11月10日
杉並特別救助隊運用開始
杉並特別救助隊運用開始に伴い、十二社はしご特別救助隊は、昭和52年10月31日、はしご特別救助隊の任務を解除し、はしご小隊として運用を開始した。
1978年
昭和53年11月15日
武蔵野特別救助隊運用開始
武蔵野特別救助隊運用開始に伴い、下連雀はしご特別救助隊は昭和53年11月1日、はしご特別救助隊の任務を解除し、はしご小隊として運用を開始した。
1979年
昭和54年10月31日
大和特別救助隊運用廃止
大和特別救助隊の救助車は、品川へ配置替えされた。
昭和54年11月12日
品川特別救助隊運用開始
1982年
昭和57年2月8日
ホテルニュージャパン火災
死者33名、傷者34名、焼損面積4,186m²
昭和57年2月9日
羽田沖日航機墜落事故
着陸時、滑走路手前約300mの海上に墜落し、死者24名、傷者138名が発生した。
1985年
昭和60年
はしご隊用救助服の制定
特別救助隊と同様の救助服に「東京消防庁はしご隊」とする胸章付き救助服を整備した。
昭和60年4月1日
上野特別救助隊運用開始
1986年
昭和61年4月11日
国際消防救助隊初の合同訓練
皇太子殿下ご臨席のもと51の消防本部、1,204名(当庁465名)の隊員が参加して訓練を実施した。
昭和61年4月15日
八王子特別救助隊運用開始
昭和61年10月1日
救助隊の編成、装備及び配置の基準を定める省令(自治省令第22号)が公布
この省令により、救助活動に関する高度な専門教育を受けた隊員、救助活動に必要な資機材及び救助工作車等によって構成される基準が定められた。
1987年
昭和62年
山岳救助隊用の救助服を制定
救助服はオレンジ色とし、山岳地での活動に適したニッカーボッカーズタイプのズボンを整備した。
昭和62年3月16日
町田特別救助隊運用開始
昭和62年5月1日
山岳救助隊の運用開始
八王子は特別救助隊と切替え運用とし、青梅、秋川、奥多摩を含めた4消防署において山岳救助隊の運用を開始した。
昭和62年6月6日
特別養護老人ホーム松寿園火災
死者17名、傷者25名。
昭和62年9月16日
国際緊急援助隊の派遣に関する法律の制定公布
海外において消防機関等が活動する法的根拠が明確化された。
昭和62年12月21日
世田谷特別救助隊運用開始
1988年
昭和63年12月1日
練馬特別救助隊運用開始
1990年
平成2年3月15日
青梅特別救助隊運用開始
1994年
平成6年4月1日
江戸川特別救助隊運用開始
渋谷はしご特別救助隊は、はしご特別救助隊の任務を解除し、はしご小隊として運用を開始した。
1995年
平成7年1月17日
兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)(M7.3)
死者6,434名、行方不明者3名、傷者43,792名、建物被害680,000棟以上、地震による火災293件。
平成7年3月20日
地下鉄サリン事件
死者13名、傷者6,300名
1997年
平成9年4月1日
多摩特別救助隊運用開始
1998年
平成10年4月10日
石神井特別救助隊運用開始
2001年
平成13年9月1日
歌舞伎町雑居ビル火災(新宿区)
死者44名、傷者3名、焼損面積160m²
2002年
平成14年4月1日
第三消防方面本部消防救助機動部隊運用開始
平成14年4月1日
渋谷特別救助隊運用廃止
渋谷特別救助隊の救助車は第三消防方面本部消防救助機動部隊へ配置替えされた。
2004年
平成16年10月23日
新潟県中越地震災害(M6.8)
(緊急消防援助隊を派遣)死者68名、傷者4805名、全半壊建物16,985棟、消防救助機動部隊が、土砂の崩落現場より子供1名を救出した。
2007年
平成19年4月25日
第六消防方面本部消防救助機動部隊運用開始
2010年
平成22年4月1日
東久留米特別救助隊運用開始
東久留米市消防本部の東京消防庁編入に伴い運用を開始した。
2011年
平成23年3月11日
東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)(M9.0)
津波などによる死者・行方不明者約20,000名。(緊急消防援助隊を派遣)
2013年
平成25年3月1日
府中特別救助隊運用開始
平成28年12月13日、府中特別救助隊は移転に伴い、朝日特別救助隊に隊名を変更した。
平成25年3月30日
第九消防方面本部消防救助機動部隊運用開始
2016年
平成28年1月6日
航空消防救助機動部隊運用開始
2020年
令和2年3月31日
本田特別救助隊運用廃止
本田特別救助隊の救助車は即応対処部隊へ配置替えされた。