東京消防庁

トピックス1 先行員制度

訓令甲第32号火災警防規程(大正15年7月訓令第49号消防出動規程の改正)第31条に「小隊ニ放水班、先行員及機関員ヲ置ク、定員ノ都合上巳ムヲ得サルトキハ放水班員ヲシテ先行員ヲ兼ネシムルコトヲ得」、第42条に「先行員ハ、防煙具、梯子及破壊器具ヲ携行スベシ」、第45条1項に「先行員ハ現場ニ先行シ要救助者ノ検索、人命救助並局部破壊ニ任シ其ノ必要ナキトキ又ハ之ヲ終リタルトキハ注水ニ従事スルコト」と先行員の制度と任務が明文化された。
しかし、この先行員制度だけでは急速に複雑・多様化する救助事象に対応しきれなくなり、専任救助隊の制度化へと進んでいった。

トピックス2 専任救助隊

専任救助隊は、方面内の全ての火災に出場しなければならなかったため、隊員は出場に支障のある望楼勤務等が免除されていた。さらに、訓練はポンプ操法、放水訓練など救助に直接関係のない訓練は省略し、もっぱら仮想建物に応じた実戦的な救助訓練を実施していた。

トピックス3 習志野の三週間

昭和38年10月21日から11月9日までの3週間(132時間)、10名の消防司令補を陸上自衛隊習志野駐屯地・第一空挺団空挺教育隊に委託派遣し、各種救助技術、安全管理のあり方、教育技法等を含む山岳救難(レンジャー訓練)技術を習得させた。
この委託派遣の教育目的は、主として救難行動の技術及び教育法を習得することで、教育科目は、徒手訓練・体育・基礎土木・車両(ウインチ)訓練・ロープ訓練・ボート訓練であり、それぞれ「講義」「展示」「実習」「試験」「討議と批評」の5段階で行われていた。
陸上自衛隊習志野駐屯地・第一空挺団空挺教育隊に委託派遣した10名の消防司令補は、帰庁後、訓練指導計画を作成し、指導者として東京消防庁における救助業務の礎を築いていった。

トピックス4 第一期特別救助講習

第一期特別救助講習の選抜試験は、昭和47年3月11日に行われた。この試験では約280名の中から選抜された62名が集められ、消防学校教養課特別教養係(現専科教養係)が担当して、第一期特別救助講習が開講された。



トピックス5 特別救助隊歌

特別救助隊歌は、先輩から後輩へと長年にわたって歌い継がれてきた特救魂、或いは心意気ともいうべき歌である。
この歌は特別救助隊が発足して間もない昭和40年代後半、後に初代救助課長となる腰高氏等が、特別救助隊員の士気を高める目的で「流砂の護り」という曲を替え歌にして歌い始めたのが始まりで、隊員の心意気と人の命の尊さ、仲間の大切さ、そして世のため人のためにという固い意志を歌ったもので、特救魂が集約された内容となっている。