明治45年 6月27日 | 築地本願寺境内に第一消防署築地出張所として創設される。 | 開署当時の庁舎全景 |
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大正 7年 4月 1日 | 京橋区月島通七丁目2番地に第一消防署月島出張所を開署 | |
11年12月 1日 | 京橋区豊玉河岸18、19号地に第一消防署所属三十間堀派出所開署 | |
15年 7月 1日 | 京橋消防署が開署 | |
昭和 4年11月6日 | 京橋区小田原四丁目8番地に築地出張所新庁舎落成 | |
11年 2月25日 | 築地出張所に初の消防艇が配置され「みやこどり」と命名される。 | |
14年 4月 1日 | 数寄屋橋派出所を開設する。 | |
15年10月 1日 | 築地出張所に水上出張所が併設される。 | |
17年10月 1日 | 水上出張所が東京水上消防所に昇格、独立する。 | |
19年 1月25日 | 銀座、築地各機関員派出所を、銀座、築地出張所に昇格する。 | |
20年 6月18日 | 築地派出所を本願寺派出所に改称する。 | |
21年 2月15日 | 本願寺派出所を廃止する。数奇屋橋、銀座の派出所を閉鎖する。 | |
23年 3月 7日 | 消防組織法施行に伴い、警視庁から分離し、東京消防本部が発足する。 | |
23年 5月 1日 | 東京消防本部は、東京消防庁と改称する。 | |
26年 3月 1日 | 京橋消防署に初めてはしご車(17メートル級)が配置となる。 | |
28年 2月28日 | 消防所を出張所と改称する。 | |
37年11月28日 | 中央区八重洲六丁目7番に八重洲出張所庁舎を新築し、事務開始する。 | |
42年 4月 1日 | 三部制勤務が制度化される。 | |
46年 4月 1日 | 京橋消防署が二級事業所格付署に昇格する。 | |
53年 3月 1日 | 中央区京橋三丁目14番1号に本署新築移転、事務開始する。 | |
63年 4月18日 | 中央区明石町1番27号に築地出張所新築移転、事務開始する。 | |
平成元年 3月22日 | 中央区救急業務連絡協議会が発足する(初代会長 宮崎 舜治氏) | |
4年 2月26日 | 中央区銀座七丁目11番17号に銀座出張所を新築移転し、事務開始する。 | |
4年 7月 1日 | 京橋、銀座両救急小隊が高度処置救急隊として運用開始する。 | |
7年 3月20日 | 地下鉄サリン事件発生、死者12人、負傷者5,500人以上、救急特別第2、救助特別第1出場等、 延べ340隊(1,364人)を運用して、負傷者の救出・救護活動等に従事する。京橋消防署管内では、営団地下鉄 築地駅と同八丁堀駅で多数傷病者が発生した。特に築地駅での消防隊による救護人員は196人で、当庁管内で 最多数の人員の救護を行った。 | |
7年 7月 7日 | 東京消防庁災害時支援ボランティア制度が運用開始される。 (京橋消防署では、11月15日に初登録者40人で発団式を行う) |
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14年 6月 5日 | 火災による死者(ゼロ)1,000日達成 | |
16年10月23日 | 新潟県中越地震に伴い、第一次緊急援助隊として3名が出場 | |
16年12月 1日 | 特別消火中隊の運用開始 | |
19年 8月23日 | 火災による死者(ゼロ)1,000日達成 | |
20年11月25日 | 火災による死者(ゼロ)4年達成 | |
21年 11月25日 | 火災による死者(ゼロ)5年達成 | |
22年 5月19日 | 火災による死者(ゼロ)2,000日達成 | |
23年 3月11日 | 東日本大震災に伴い、京橋消防署では8隊39名が派遣隊として出場 | |
24年 3月1日 | 東京DMATが運用開始される。 (東京DMATの指定病院として聖路加国際病院が指定され、京橋消防署のポンプ隊と連携しての活動を開始) |
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25年 10月18日 | 台風26号に伴う大島土砂災害現場に京橋消防署から1隊4名が出場 | |
26年 4月1日 | 京橋、銀座両救急小隊が英語対応救急隊として運用開始する。 | |
26年 11月1日 | 火災による死者(ゼロ)1,000日達成 |